原語から見える聖書のイメージ

マーラーの一千人の交響曲 ヤルヴィ指揮のN響 // マタイ12章18節 プシュケーとプネウマ

お花見にはまだちょっと早いですね
寒いので録画を見てました

BSでNHK交響楽団のマーラーを聴いてたら感動!
パーヴォ・ヤルヴィとN響のすごい熱演
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あの第8番一千人の交響曲です

昨年、N響は90周年を迎えたんですね。

N響90周年ならルターは500周年

そろそろイースターシーズンですし、

「来たれ 創造主である聖霊よ」164.png169.png

にちなんで

マタイ12章18節から

18]Ἰδοὺ παῖς μου ὃν ᾑρέτισα,
ἀγαπητός μου ὃν εὐδόκησεν ψυχή μου:

見よ わたしの選んだ僕
わたしのに適った愛する者

わたしのプシュケー

θήσω τὸ πνεῦμά μου ἐπ᾽ αὐτόν,
καὶ κρίσιν τοῖς ἔθνεσιν ἀπαγγελεῖ.

この僕にわたしのを授ける
彼は異邦人に正義を知らせる

わたしのプネウマ

プシュケーってギリシャ神話なんかでもなじみがありますね。

ウィキペディにはこうありました。

ソクラテスは、プシュケーをの座だとした。
< よく生きる >ことを《プシュケーの気遣い》として説いた
プシュケーの世話をせよ、と説いたのである」

新約聖書における「プシュケー」は、例えば『マルコによる福音書』3:4、8:35、10:45のそれは、日本語では「命」と訳しうる。また、マルコ 14:34、ルカなどでは感情の座である。

新約聖書の「プシュケー」という表現は、現代語で言う「精神」と「身体」を合わせた人間を表しているのであって、霊肉二元論ではないので、「人」とか「人々」と訳したほうが自然なくだりも多い

新約聖書ではプシュケーはプネウマと対比され、

プネウマのほうは神から与えられる超自然的賜物

とされている」

だそうです

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ついでにウィキのつづきですが、

ルターは、ギリシア語のプシュケーをつねに「いのち」

と訳していたという」

とすると、「わたしのいのちに適った僕」ということになりますね。
これだとピンときます。

神様の「いのち」に適うくらいですから、同格ですね。
三位一体につながるかも。

その僕に「わたしの霊」をさずけるですから、ここも同格。
みえざる三位一体を感じます。

12章32節の聖霊に言い逆らう者は・・赦されることがない。
ここに繋がるのかなと思いました。


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花よりマーラーでした(笑)m(__)m

皆様、良いお花見を179.png179.png179.png













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by yokohama-izumi-lc | 2017-04-01 12:21 | 聖書を原語で考える | Trackback | Comments(0)
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